ュースレターを作り始めて20年。
過去の239枚のニュースレターをパラパラと見ていると、感慨深い。
ほんとうに色々な方にお世話になった。
紙で残しておくと、実感できる。
創刊号から31号までは白黒でした。
その時、30歳過ぎて、大豆島の訓練校に通っていて、その先生が工業高校の先生でもあったので、工業の輪転機を借りて何千部も印刷して、仕事の無い時にうちの大工さんにも手伝って貰ってご近所に配っていました。
銀行から「今月、引き落とし出来てませんけど」との電話を貰う日常でしたので、試行錯誤していて、飛び込み営業もしたし、目標を決めて、訪問件数、目標売上等も決めて、上手くいかない時は、目の前の西友の駐車場に車を止めて、「この先どうする?」と、会社を眺めていたものでした。
皆々様のお陰で、会社は続いております。

 239枚のニュースレターを一枚一枚捲っていくと、その当時の「感情」さえも思い起こされて、綱渡りのように、多くの方にお世話になって、仕事が続けられて、今が有ることを実感します。
与えられ続けている人生です。
これからも皆様のお世話にならないと私も、会社もやっていけないのですが、一方、私も、与えられるばかりではなく、与える側の立場にもなる番ではないかと考えるようになりました。
私に、何ができるかは分かりませんが、何かしたいと思います。

 この新聞を書き始めた20年前、当時、長野市商工課で「起業塾」という企画をしてくれていて、そこに1年一緒に参加して、HPとかウェブを仕事にするというクマちゃんに「工務店の営業って、ニュースレターってヤツを作ると好いんだってさ」と、相談すると、「やった方が良いよ」「手伝うよ」と、言って貰って、毎月作って240号。
休みなく続いている。
原稿をクマちゃんに出すのが遅い時は「どうすんの?」と、催促してくれるし、「今晩大丈夫?」との、無茶ぶりにも対応して貰っている。
感謝感謝です。
クマちゃんが居てくれたから続いています。
情報伝達をする立場になった人間として、もっと伝えなければならないことが他に有るじゃないか、「知った人から伝える側に廻らなければ!」との思いが強くなった。またまた、映画の自主上映会を企画しました。こちらもご注目下さいね。